星の帰り道
その日は朝から8月らしからぬ涼しさで、私は春先からロッカーに入れっぱなしだった薄手のカーディガンを羽織って職場を出た。
定時はとうに過ぎており、人通りが殆ど無く街灯も少ない道は薄暗く物悲しい。
するり吹き抜ける夜風に身震いしてから帰路を急ぐ。
暗闇に目が慣れ始めると、夜空にいくつかの星が輝いているのが見えた。
――明日は休みだ、ゆっくり湯船につかってから晩酌でもしよう。
気楽な独身貴族らしく自分なりの贅沢を思い描いていると、数歩先の地面にふと目が止まった。
何かが落ちている。
控えめに光る物体に引き寄せられるようにしゃがみこむ。
そっと摘み上げれば、それはイヤリングのようであった。
三つの星が三角形に並んだ、金属性の小さなイヤリング。
その星のひとつだけが、ふわりと光りかすかに揺れているのだ。
輝き、と言うにはあまりにも控えめなそれを、私はしばらくじっと見つめていた。
光る星に触れると僅かに温もりを感じて心地良く、妙に思いながらも不思議と恐怖は無い。
――何だろう、この感覚は…まるで何かを訴えかけてくるような……
じんわりと心の中に染み込んでくる感覚は、しかしはっきりとした思考には結び付かない。
どれくらいそうしていただろう、
ゴーッという音と同時に一瞬、体ごと突き飛ばされるような強い風が吹き抜けた。
思わず取った防御の姿勢を解く。
突風の痕跡を探して辺りを見回すが、変わらず薄寒い静かな夜のままだった。
――何だ、今のは。
竜巻だろうか、
危うく尻もちをつくところだった。
そこで、ふと思い至って己の手を見遣り、ぎょっとする。
先刻拾い上げたイヤリング。
確かに光って揺れていた金属の星がひとつ、消えているのだ。
――そうだ、あの突風。
あの一瞬で、どこかにぶつけて落としてしまったのだろうか……
しゃがんだまま足元を見回すが、こ暗闇の中では小さな金属片など見つかるはずもない。
アンバランスに並んだふたつの星。
大きく溜息を吐き、それを地面に戻す。
じっとしゃがみこんだまま、随分時間が経っていたようだ。
少しふらつきながら立ち上がる。
歩き出す前に大きく腕を伸ばし、そのまま勢いを付けて空を見上げた。
それは、まさに満天の星空であった。
漆黒のビロードに散りばめられた宝石がスポットライトを受けて輝くように、夜空に無数の星が映える様は身震いする程に美しい。
その中にひとつ、一際大きく光る星があった。
じっと見つめていると、先刻の不思議な感覚が戻ってくる。
何万光年も遠く離れた星の温度が届いたかのような、じわりじわりと広がっていく小さな温もり。
――これはまさか、さっきの……
引き寄せられるように視線を地面に移したその瞬間、また突風が吹いた。
先刻より強い風は砂埃を舞い上げ、思わず目を瞑り今度こそ尻もちをつく。
そのまま手探りで地面を探すが、やはりイヤリングは見付からない。
半信半疑ながらそうっと目を開け、見上げた空には大きな星が三つ。
満天の星たちの中で三角形を描き、大きく光り輝いていた。
僅かな温もりは相変わらず不思議な感覚で、それでも確かに身体に馴染んでしまった。
街は夏の夜らしい温度を取り戻し、俄かに活気づいたようにも見える。
街灯に頼らずとも、歩けそうだった。
ーー帰ろう、私も。
随分とあちこち寄り道をしてしまったような気になるが、実は先刻から一歩も進んでいないのだ。
ひとり芝居のような自分の有り様を思い出してはついつい緩みそうになる頬を隠し、ゆっくりと歩き出す。
星の美しい夜の、帰り道のことだった。
定時はとうに過ぎており、人通りが殆ど無く街灯も少ない道は薄暗く物悲しい。
するり吹き抜ける夜風に身震いしてから帰路を急ぐ。
暗闇に目が慣れ始めると、夜空にいくつかの星が輝いているのが見えた。
――明日は休みだ、ゆっくり湯船につかってから晩酌でもしよう。
気楽な独身貴族らしく自分なりの贅沢を思い描いていると、数歩先の地面にふと目が止まった。
何かが落ちている。
控えめに光る物体に引き寄せられるようにしゃがみこむ。
そっと摘み上げれば、それはイヤリングのようであった。
三つの星が三角形に並んだ、金属性の小さなイヤリング。
その星のひとつだけが、ふわりと光りかすかに揺れているのだ。
輝き、と言うにはあまりにも控えめなそれを、私はしばらくじっと見つめていた。
光る星に触れると僅かに温もりを感じて心地良く、妙に思いながらも不思議と恐怖は無い。
――何だろう、この感覚は…まるで何かを訴えかけてくるような……
じんわりと心の中に染み込んでくる感覚は、しかしはっきりとした思考には結び付かない。
どれくらいそうしていただろう、
ゴーッという音と同時に一瞬、体ごと突き飛ばされるような強い風が吹き抜けた。
思わず取った防御の姿勢を解く。
突風の痕跡を探して辺りを見回すが、変わらず薄寒い静かな夜のままだった。
――何だ、今のは。
竜巻だろうか、
危うく尻もちをつくところだった。
そこで、ふと思い至って己の手を見遣り、ぎょっとする。
先刻拾い上げたイヤリング。
確かに光って揺れていた金属の星がひとつ、消えているのだ。
――そうだ、あの突風。
あの一瞬で、どこかにぶつけて落としてしまったのだろうか……
しゃがんだまま足元を見回すが、こ暗闇の中では小さな金属片など見つかるはずもない。
アンバランスに並んだふたつの星。
大きく溜息を吐き、それを地面に戻す。
じっとしゃがみこんだまま、随分時間が経っていたようだ。
少しふらつきながら立ち上がる。
歩き出す前に大きく腕を伸ばし、そのまま勢いを付けて空を見上げた。
それは、まさに満天の星空であった。
漆黒のビロードに散りばめられた宝石がスポットライトを受けて輝くように、夜空に無数の星が映える様は身震いする程に美しい。
その中にひとつ、一際大きく光る星があった。
じっと見つめていると、先刻の不思議な感覚が戻ってくる。
何万光年も遠く離れた星の温度が届いたかのような、じわりじわりと広がっていく小さな温もり。
――これはまさか、さっきの……
引き寄せられるように視線を地面に移したその瞬間、また突風が吹いた。
先刻より強い風は砂埃を舞い上げ、思わず目を瞑り今度こそ尻もちをつく。
そのまま手探りで地面を探すが、やはりイヤリングは見付からない。
半信半疑ながらそうっと目を開け、見上げた空には大きな星が三つ。
満天の星たちの中で三角形を描き、大きく光り輝いていた。
僅かな温もりは相変わらず不思議な感覚で、それでも確かに身体に馴染んでしまった。
街は夏の夜らしい温度を取り戻し、俄かに活気づいたようにも見える。
街灯に頼らずとも、歩けそうだった。
ーー帰ろう、私も。
随分とあちこち寄り道をしてしまったような気になるが、実は先刻から一歩も進んでいないのだ。
ひとり芝居のような自分の有り様を思い出してはついつい緩みそうになる頬を隠し、ゆっくりと歩き出す。
星の美しい夜の、帰り道のことだった。